はじめに
産婦人科の現場で、もっとも遭遇したくない、しかし遭遇した瞬間に「完璧な動き」が求められる究極のシナリオ。それが妊産婦蘇生です。
多くの産科医にとって、母体心停止は一生に一度あるかないかの稀な事態かもしれません。しかし、だからこそ「いざ」という時に身体が動かなければ、二つの命を同時に失うことになります。
今回は、産婦人科診療ガイドライン 妊産婦の蘇生法」を深掘りします。研修医や学生の皆さんが、救急カートの前で立ち尽くさないための「攻めの蘇生術」をマスターしましょう。
1. なぜ「妊婦の蘇生」は特別なのか?
妊婦の蘇生が通常のBLS(一次救命処置)やALS(二次救命処置)と決定的に違う点。それは、「巨大な子宮という名の物理的障害」と「激変した生理機能」にあります。
- 酸素消費量が約20%アップ: 無呼吸になると、あっという間に低酸素に陥ります。
- 機能的残気量の減少: 横隔膜が押し上げられ、肺が膨らみにくい。
- 仰臥位低血圧症候群: 仰向けに寝るだけで、巨大な子宮が下大静脈を圧迫し、心臓への還流(プレロード)が激減します。
つまり、妊婦さんの心停止は「燃料切れが早く、エンジンがかかりにくい」状態なのです。
2. 反応がある時の「先手」:心停止を未然に防ぐ
「まだ心臓は動いている、でも様子がおかしい」という段階で、どれだけ質の高い介入ができるかが勝負です。
① 応援要請と資材準備
一人で抱え込まないこと。産科スタッフだけでなく、麻酔科、救急科、新生児科へのコールを躊躇してはいけません。
② 酸素投与とモニター装着
気道が開通しているか確認し、リザーバー付マスクで100%酸素を10〜15L/分ぶち込みます。$SpO_2$ 95%以上を維持するのが目標です。
③ 静脈路確保の「黄金律」
ここ、テストに出ます。「静脈路は横隔膜より頭側(上肢など)で確保」してください。
子宮が下大静脈を圧迫しているため、足から入れた薬や輸液は心臓に届きにくいからです。
④ 子宮左方移動(LUD)
子宮底が臍高(妊娠20週相当)より上にあるなら、子宮を左側に手でグイッと押し退けます(Left Uterine Displacement: LUD)。これだけで心拍出量が劇的に改善することがあります。
3. 反応がない・心停止時の「攻め」
意識がなく、呼吸が止まっている(または死戦期呼吸)なら、即座に蘇生アルゴリズムを開始します。
A:胸骨圧迫(高品質な圧縮を!)
部位は通常と同じ「胸骨下半分」です。
- 深さ: 約5cm
- テンポ: 100〜120回/分
- 解除: しっかり胸を戻す。
- 交代: 2分おきに。妊婦は疲れさせますし、蘇生側も疲れます。
B:気道確保と人工呼吸
妊娠中は気道粘膜が浮腫状になりやすいため、気管挿管は「難しい」と心得てください。
- チューブ: 通常より細めの6.5mm程度が推奨されます。
- 換気: バッグバルブマスクで確実に胸が上がるのを確認。
C:除細動(AED)をためらわない
「電気ショックは赤ちゃんに悪いのでは?」という迷いは捨ててください。お母さんが助からなければ、赤ちゃんも助かりません。
AEDの指示に従い、通常通り通電します。通電直前に胎児モニターは外すのがルールです。
D:アドレナリン投与
蘇生に反応しなければ、アドレナリン1mgを3〜5分おきに投与します。もちろん、静脈路は横隔膜より上からです。
4. 究極の選択:死戦期帝王切開(PMCD)
妊婦蘇生の最大の特徴がこれです。死戦期帝王切開(Perimortem Cesarean Delivery: PMCD)。
なぜ切るのか?
「赤ちゃんを助けるため」だけではありません。「お母さんの心臓を再び動かすため」です。
子宮を空にすることで下大静脈の圧迫が解除され、心拍出量が25〜30%増加し、蘇生成功率が上がるとされています。
5分ルールの鉄則
- 4分経過: 蘇生開始から4分経っても自己心拍が再開(ROSC)しなければ、その場で切開を開始。
- 5分以内: 5分以内に児を娩出させる。
重要:準備が整うまで蘇生を止めてはいけません。また、たとえ胎児死亡が確認されていても、「母体救命のための減圧」としてPMCDを行う価値があります。
5. 備えあれば憂いなし:J-CIMELSの重要性
母体急変は、知識だけでは対応できません。
ガイドラインでも、J-CIMELS(日本母体救命システム普及協議会)などのシミュレーション講習会への参加が強く推奨されています。
- 多職種連携: 医師、助産師、看護師、事務、みんなで役割を確認。
- 救急カートの点検: 6.5mmの挿管チューブ、アドレナリン、LUD用のクッションなどはすぐ出せますか?
問題 医師国家試験・専門医試験レベル
問題1
妊娠32週の妊婦が病棟で意識消失し、心停止と判断された。直ちに行うべき処置として適切でないのはどれか。
A. 胸骨の下半分を5cmの深さで圧迫する。
B. 用手的に子宮を左方に移動させる。
C. 下肢の静脈を確保し、急速輸液を開始する。
D. AEDを装着し、必要なら電気ショックを行う。
E. 蘇生開始4分で心拍再開がなければ帝王切開を考慮する。
【正解】C
【解説】
A:正しい。非妊婦と同様です。
B:正しい。LUDにより静脈還流を改善させます。
C:誤り。妊婦では横隔膜より頭側(上肢など)でのルート確保が鉄則です。下肢からの輸液は子宮による圧迫で心臓に届きにくいためです。
D:正しい。除細動に躊躇は禁物です。
E:正しい。4分判断、5分娩出のPMCDルールです。
問題2
妊産婦の心肺蘇生における死戦期帝王切開(PMCD)について正しいのはどれか。
A. 児の生存が確認できない場合は行わない。
B. 手術室へ搬送してから開始することを原則とする。
C. 胎児への通電を避けるため、除細動前に行う。
D. 子宮による大血管圧迫を解除し、母体の血行動態を改善させる目的がある。
E. 妊娠20週未満であっても積極的に考慮する。
【正解】D
【解説】
A:誤り。母体救命のための減圧目的で行います。
B:誤り。搬送の時間は命取りになります。その場(Bedside)で行うのが基本です。
C:誤り。まずはBLS/ALSを優先し、除細動もPMCDより先に行います。
D:正解。最大の目的は母体のプレロード確保です。
E:誤り。子宮底が臍高に達する妊娠20週以降が対象です。
まとめ
- LUD(左方移動): 仰向けによる「自爆」を防げ。
- 横隔膜より上でルート: 薬を確実に心臓へ届けろ。
- 4分で決断(PMCD): 救命のための最終手段を躊躇するな。
妊産婦蘇生は、まさにチームプレイです。この記事を読み終えたら、ぜひ職場の救急カートを開けてみてください。そこに「6.5mmのチューブ」があるか確認するだけで、あなたは一歩、救命に近づいています。

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