はじめに
妊娠高血圧症候群(hypertensive disorders of pregnancy: HDP)は妊娠中に発症する重大な合併症の一つです。母体だけでなく胎児の予後をも大きく左右し、産科領域で最も重要な管理テーマの一つといえます。日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会が公表している「産科診療ガイドライン 2023」に基づき、臨床現場での対応を体系的に整理し、初期研修医・後期研修医・医学生の学習に役立つよう解説します。最後に確認問題もあります。
1. 妊娠高血圧症候群の定義と分類
1.1 定義
HDPは、妊娠20週以降に発症する高血圧(収縮期≧140mmHg または 拡張期≧90mmHg)を主体とする病態の総称です。以下のように分類されます。
1.2 分類
- 妊娠高血圧症(gestational hypertension)
- 妊娠20週以降に高血圧を発症、蛋白尿なし。
- 妊娠高血圧腎症(preeclampsia)
- 高血圧に加え蛋白尿(≧300mg/日または定性1+以上)を認める。
- 加重型妊娠高血圧腎症(superimposed preeclampsia)
- 慢性高血圧に妊娠高血圧腎症が合併。
- 慢性高血圧合併妊娠
- 妊娠前から高血圧、または妊娠20週未満で発症。
1.3 重症度
- 重症高血圧:収縮期≧160mmHgまたは拡張期≧110mmHg
- 臓器障害や胎児発育不全があれば重症に分類
2. 入院適応と管理方針
2.1 入院が必要なケース
以下の病型はいずれも原則入院管理が必要です:
- 妊娠高血圧腎症
- 加重型妊娠高血圧腎症
- 重症妊娠高血圧
- 重症高血圧合併妊娠
非重症例(140〜159/90〜109mmHg) であっても、母児の状態が不安定な場合は入院を検討します。外来管理とする場合も家庭での血圧測定や症状の自己チェックを指導し、早期受診できる体制を整えます。
2.2 外来管理の注意点
- 母体の症状(頭痛、視覚異常、上腹部痛、浮腫)を毎回確認
- 家庭血圧の記録
- 胎児発育・羊水量・臍帯血流のエコー評価を定期的に実施
3. 高血圧に対する治療
3.1 降圧の適応
- 重症高血圧(≧160/110mmHg):高血圧緊急症として速やかに降圧
- 非重症例(140〜159/90〜109mmHg):原則的に降圧薬は不要。ただし進行性の病態や母体合併症がある場合は考慮
3.2 降圧薬
妊娠中に使用可能とされる薬剤:
- メチルドパ
- ラベタロール
- ニフェジピン(徐放製剤、舌下は避ける)
- ヒドララジン(静注)
注意点:
- ACE阻害薬・ARBは胎児への影響が強く禁忌
- 降圧中は胎児心拍モニタリングを併用
3.3 子癇予防
- 繰り返す重症高血圧や神経症状がある場合は硫酸マグネシウムを投与し子癇予防
4. 母体と胎児のモニタリング
4.1 母体評価
- 血圧測定(毎日)
- 血液検査:肝機能、腎機能、血小板数、溶血所見
- 尿検査:蛋白尿の程度、尿量
- 症状チェック:頭痛、視覚異常、上腹部痛、意識障害
4.2 胎児評価
- NST(ノンストレステスト)
- 超音波:羊水量(AFI)、ドップラー(臍動脈血流)、推定胎児体重
5. 重症合併症
HDPでは以下の重篤な合併症が生じ得ます:
- HELLP症候群(溶血・肝障害・血小板減少)
- 子癇(けいれん発作)
- 脳出血・脳梗塞
- 胎盤早期剥離
- 胎児発育不全(IUGR)
症状(上腹部痛、頭痛、視覚異常、痙攣など)があれば直ちに評価・対応が必要です。
6. 妊娠終結のタイミング ― 「期待的管理」と「即時終結」の境界をどう引くか
妊娠をいつ終えるかは、HDP管理でもっとも慎重な判断を要する論点です。単純に「血圧の数値」だけで決めるのではなく、母体リスク(脳出血・子癇・臓器障害・DIC・胎盤早期剥離) と 胎児リスク(低酸素・発育不全・胎児機能不全・早産による長期予後) を天秤にかけ、周産期医療資源(NICU 可用性、母体搬送の可否)も含め総合的に判断します。ガイドライン間で完全な一致はないものの、臨床で迷いがちな点を次の枠組みで整理します。
6.1 原則とエビデンスの限界
- 原則:重篤な母体臓器障害、胎児健常性の破綻、降圧抵抗性の重症域高血圧などがあれば、病型・週数を問わず妊娠終結を選択します。
- エビデンスの限界:妊娠継続限界の厳密な週数や閾値を規定する高品質なエビデンスは十分ではありません。したがって、個別化(母児の重症度・施設要因・本人の価値観)を前提に、国際的なコンセンサス(ACOG/ISSHP/NICE 等)を参考に運用します。
6.2 週数別の考え方(実践アルゴリズム)
〈妊娠34週未満〉:
- 生命を脅かす重篤所見がなければ、入院下での期待的管理(expectant management)が選択肢になります。目的は母体安全を最優先しつつ、胎児の成熟の時間を稼ぐこと。
- 期待的管理を行う場合は、**ステロイド(胎児肺成熟)**を投与し、24–48時間の“ステロイドウィンドウ”を確保するよう調整します(ただし、母体・胎児の破綻兆候があれば即時終結)。
- MgSO₄は、重症例では母体の子癇予防として、また32週未満では胎児神経保護も考慮します。
〈妊娠34–36週6日〉:
- 重症妊娠高血圧腎症で臓器障害や降圧抵抗性があれば終結優先。安定例では、母体合併症リスクと早産リスクを秤にかけ、短期間の期待的管理を検討しますが、漫然とした継続は不可。
〈妊娠37週以降〉:
- 非重症であっても早期の妊娠終結を計画します(妊娠高血圧腎症はおおむね37週、妊娠高血圧・高血圧合併妊娠は概ね 37〜40週0日までに終結)。日程調整可能な計画分娩が基本です。
6.3 期待的管理の適格基準とモニタリング
期待的管理を選ぶのは、①降圧でコントロール可能、②進行性臓器障害がない、③胎児評価が保たれている、④入院下で高頻度モニタリングが可能、という条件が満たされるときに限ります。モニタリングは、
- 母体:血圧の連日評価、反復する重症域の有無、症状(頭痛・視覚異常・上腹部痛・呼吸困難)、検査(血小板・AST/ALT・Cr・LDH)を少なくとも週2–3回。
- 胎児:NSTの定期施行、羊水量・推定体重・臍帯動脈ドップラーを1–2回/週。必要時はBPPを併用。 この体制が確保できない場合は、期待的管理の適応なしと判断します(母体搬送・周産期センター連携を早期に検討)。
6.4 即時終結を選ぶ“赤旗”
以下のいずれかを満たす場合は、週数にかかわらず妊娠終結を躊躇しない方針が妥当です:
- 降圧抵抗性の重症高血圧(適切な薬物治療にもかかわらず持続)
- 子癇発作、または前駆症状の悪化(難治性頭痛・視覚障害・意識変容)
- HELLP症候群、血小板減少(例:<10万/μL)、肝酵素上昇(持続・増悪)、腎機能悪化(Cr上昇、乏尿)、肺水腫、DIC
- 胎盤早期剥離の臨床所見
- 胎児:重度の胎児機能不全、進行性の発育不全に血流異常(AEDF/REDF など)、重度羊水過少、BPP低下 (“赤旗”が出たら、ステロイドの完遂を待たない決断が必要です。)
6.5 分娩様式・周術期管理の実務
分娩様式は、母体と胎児の状態・頸管熟化の可否・既往帝王切開・施設体制で決めます。経腟分娩は第一選択ですが、緊急性が高い・胎児が耐えにくい・頸管が不利といった状況では帝王切開により安全に短時間で終結します。
- 降圧はラベタロール静注/ヒドララジン静注/経口ニフェジピンなどで急激な低下を避けつつコントロール。分娩中は母体の循環動態と胎児心拍を密に監視。
- MgSO₄は重症例で分娩中〜産褥24時間の継続投与を基本とし、腱反射・呼吸数・尿量で中毒を監視。
- 34週未満の終結では新生児科と事前に分娩立会い計画を共有し、肺成熟ステロイドの投与歴と投与からの経過時間を明確化します。
6.6 カウンセリングと意思決定
終結/継続の分岐では、母体の即時リスクと早産による新生児予後の両面を、**具体的な時間軸(24–48時間での変化)**で説明します。望ましいのは、
- 選択肢(即時終結 vs 期待的管理)とそれぞれのメリット・デメリット、
- 監視計画(検査頻度、救急対応のトリガー)、
- 施設体制(NICU可否、母体搬送の可能性)を可視化して共有すること。意思決定のプロセスと合意内容は診療録に明確に記載します。
6.7 ケースシナリオで考える
Case:33週、重症域血圧(170/112)で搬送、頭痛あり。初期治療で 150/95 に低下、検査は Plt 14万・AST/ALT 軽度上昇・Cr 正常、NST は reactive。
- 初期対応で重症域を離脱し、臓器障害も進行所見なし。期待的管理の適格性を満たすため、入院下で厳格モニタリングを設定。ステロイドを投与しつつ 24–48 時間のウィンドウを狙う。ただし、症状の遷延・重症域再燃・検査悪化・胎児所見悪化のいずれかがあれば即時終結に方針変更する。分娩方法は頸管条件・胎児予備能で再評価し、経腟分娩を第一選択としながら、緊急帝王切開の低い閾値を共有しておく。
6.8 実務メモ(チェックリストとして活用)
- 期待的管理の**適格性・離脱基準(赤旗)**を診療録に明文化
- ステロイド投与のタイミングと投与完遂の可否を常にアップデート
- MgSO₄の適応とモニタリング(反射・呼吸・尿量)をルーチン化
- 母体搬送/新生児搬送の判断は前広に、NICU と事前調整
- 分娩誘発を選ぶ場合は頸管熟化戦略(バルーン、薬剤)を早期に設計
7. 産後の管理と再発予防
- HDPの既往女性は将来的に高血圧・心疾患・糖尿病・腎疾患のリスク増加
- 年1回以上の健康診断を推奨
- 次回妊娠では**低用量アスピリン(81–100mg/日)**を妊娠12週頃から考慮(国内では保険適用外、主治医と要相談)
8. 国家試験レベル問題
問題1
28歳、初妊婦。妊娠33週、健診で血圧160/110mmHg、蛋白尿2+。頭痛と上腹部痛を訴える。NSTはreactive。対応として最も適切なのはどれか。
A. 自宅安静
B. 低用量アスピリン開始
C. 緊急帝王切開
D. 入院のうえ降圧治療と母児モニタリング
E. 妊娠40週まで妊娠継続
正解:D
解説:重症高血圧かつ症候性。入院して降圧・経過観察が必須。即帝王切開ではなく母児状態を評価しつつ治療する。
問題2
妊娠高血圧症候群で禁忌とされる降圧薬はどれか。
A. メチルドパ
B. ラベタロール
C. ヒドララジン
D. ニフェジピン
E. エナラプリル
正解:E
解説:ACE阻害薬(エナラプリルなど)およびARBは胎児腎障害を来すため禁忌。
問題3
妊娠高血圧腎症で注意すべき合併症はどれか。2つ選べ。
A. HELLP症候群
B. 糖尿病性ケトアシドーシス
C. 胎盤早期剥離
D. 子宮破裂
E. 甲状腺クリーゼ
正解:A, C
解説:HDPはHELLP症候群、胎盤早期剥離、子癇、脳卒中を合併し得る。
まとめ
妊娠高血圧症候群は妊娠期の主要な母体合併症であり、適切な診断・管理が母児の予後を大きく左右します。臨床現場では、
- 病型と重症度の正確な把握
- 入院適応の判断
- 適切な降圧薬選択とモニタリング
- 妊娠終結のタイミング決定
- 産後・次回妊娠への予防的介入 が重要です。
専門医試験では分類・重症度・管理方針が繰り返し問われるため、ガイドラインの要点を整理して学習してください。


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