『店長がバカすぎて』笑いの奥にある、働くことの真実

レビュー

昨今、タイトルで目を引く本はいくつもあるが、早見和真『店長がバカすぎて』はその中でも格別に「人間らしさ」を残している一冊だ。2019年刊行、翌年の本屋大賞ノミネート作に名を連ねたことを覚えている読者も多いだろう。私もその話題性に惹かれて手に取ったのだが、読み終えてまず感じたのは「これは単なる職場コメディではない」ということだった。

舞台は吉祥寺の小さな書店。主人公の京子は、職場に深く根ざした日常の中で、時に笑い、時にため息をつきながら働くスタッフの一人だ。表層的にはユーモラスな出来事の連続に見えるが、ページを進めるごとに積み上がるのは、登場人物たちの細やかな感情と職業倫理だ。書店という「本が集う場所」を通して描かれる人間模様は、職場で働く人間なら誰もが頷く瞬間で満ちている。

まず特筆すべきは、筆致の軽やかさと伏線の巧妙さだ。序盤に散りばめられた小さな描写が、終盤で静かに回収される瞬間は、本を閉じた後に大きな満足感を与えてくれる。笑いとともに提示された種が、回を重ねるごとに意味を持ち始め、最後にひとつの線で結ばれる構成は、単なるエピソード集に終わらない物語の深みを生む。読者は途中で「なるほど」と膝を打ち、最後には自然に登場人物たちの行末を案じるようになる。

京子や周囲のスタッフの描写には、仕事に対する誠実さと、それを取り巻く制度や期待との摩擦が織り込まれている。たとえば、現場で日々小さな不条理に直面する瞬間、その場しのぎのユーモアで切り抜ける場面もあれば、根っこのところで折り合いをつけられずに心を痛める場面もある。作者はその両方をまったく飾らず、等身大のトーンで描く。だからこそ読後に残るのが「慰め」や「励まし」に近い別種の温度だ。

個人的には、作品を通じて改めて考えさせられたのが「誰のために働くのか」という問いだった。書店であれ医療であれ、サービスを受ける側の人間は必ずしも理性的ではない。期待と不安が言葉や態度に混じることは日常茶飯事だ。京子たちは、そうした複雑な感情を持つ“相手”に対して、形式的な礼節だけではない「理解」を示そうとする。その姿勢が、本書の温かさの源泉だと思う。相手を“完全に受容する”のではなく、その背景にある事情や恐れを想像し、必要な配慮を差し出す。これは職場の人間関係の基本に通じる重要な態度である。

また、本書の魅力は「弱さの肯定」にもある。登場人物は決して万能ではない。小さな失敗や迷い、見栄や嫉妬が描かれる。それでも日々を続ける力があり、その不完全さが逆に人間味となって読者の共感を呼ぶ。私たちは完璧さを仕事に求めがちだが、物語は教えてくれる──完全ではないからこそ助け合いが意味を持ち、だからこそ仕事は続けられるのだと。

伏線回収の巧みさも忘れてはならない。序盤の取るに足らない一言や小さな仕草が、やがて大きな意味を帯びていく様は読み物としての快楽そのものである。これは作者の構成力と観察眼の賜物だ。読者は単に笑ったり泣いたりするだけでなく、物語そのものを「解く」楽しみを味わえる。読み返すことで初めて見えてくる細部も多く、二度、三度と読み直す価値がある。

さらに、続編『新!店長がバカすぎて』を読むことで、登場人物たちの時間の流れや成長を追体験できる。シリーズを通して読むと、個々のエピソードが相互に響き合い、全体像がより深まる。短編的なユーモアと長期的な人物描写が両立している点は、このシリーズの大きな強みだ。

では、この本はどんな人に勧めたいか。まずは「職場で人間関係に疲れている人」。怒りや苛立ちの中で心が固くなっているとき、京子たちの不器用ながら誠実な対応を読むと、肩の力がふっと抜けるはずだ。次に、「職場の微妙な機微を観察するのが好きな人」。小さな仕草や言葉の裏にある人間模様を読み取る楽しさがある。そして、「単純に面白い物語を読みたい人」──軽やかな笑いと静かな余韻を両方求める読書体験がここにある。

最後に、本書を読んで私自身が得た小さな教訓を一つだけ挙げておきたい。仕事の何割かは技術や知識で解決できるかもしれない。しかし、残りの何割かは「他者を想像する力」でしか埋められない。京子が示すのは、まさにその想像力だ。相手の立場に立って考え、少しだけ手を差し伸べること。それは決して大きな犠牲や自己犠牲を意味しない。ほんの些細な配慮が、職場の空気を変え、結果的に仕事の質を上げることもある。

『店長がバカすぎて』は、笑いによって砕いた硬い殻の中に、人間らしい温かさと職場で働く意味を静かに収めた一冊だ。読了後、ページを閉じてから少しだけ自分の職場を見渡してみてほしい。そこに、京子たちの姿が思い出されるなら、この本は期待以上の価値をあなたに与えてくれるだろう。

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