【ベトナム・カンボジア旅行記③】アンコールワットの歴史と文化を歩く旅|ゲストハウス滞在の思い出も

旅日記 / Travel Diaries

シェムリアップ到着:夜のゲストハウス探し

シェムリアップに到着し、まずは宿探し。実は学生時代にも訪れたことがあり、そのとき泊まったゲストハウスを再訪することにしました。事前にGoogleマップや『地球の歩き方』で印をつけ、到着後に迷わず行けるように準備していましたが、到着時間は夜中。道に迷うこともありましたが、無事ゲストハウスにたどり着くことができました。

ゲストハウスの壁にはヤモリがひょっこり顔を出していて、最初は少し驚きましたが、すぐにその自然な光景に心が落ち着きます。日本ではあまり見られない雰囲気で、これが異国に来た実感を強くしてくれました。


アンコールワット観光の準備

翌日、早速アンコールワット観光に出かけるため、トゥクトゥクを1日チャーターしました。驚くことに、2人で1日1000円、2日で2000円という格安料金です。日本の交通費を考えると信じられないほどの安さで、長時間移動の疲れもトゥクトゥクなら風を切りながら移動できるため快適でした。

朝食はゲストハウスの外テラスで取りました。朝の涼しい空気の中で食べる食事は格別で、特にコーヒーは香りが立ち、ゆったりとした時間が流れます。観光への期待が自然と高まる瞬間でした。


アンコールワットとは?歴史と文化の概要

アンコール・ワット(クメール語: អង្គរវត្ត)は、カンボジア北西部に位置するユネスコ世界遺産の一つで、アンコール遺跡群を代表する巨大な寺院です。建設当初はヒンドゥー教寺院でしたが、16世紀後半に仏教寺院に改修され、現在も上座部仏教寺院として信仰の対象となっています。

クメール語で「アンコール」は王都、「ワット」は寺院を意味します。そのため「アンコール・ワット」は「国都寺院」という意味を持ちます。大規模な伽藍と精緻な彫刻が特徴で、カンボジアの国旗中央にも描かれる国の象徴です。

建設から14世紀まで

9世紀初頭に成立したクメール帝国(アンコール朝)は、アンコール周辺に都城を建設して王都としました。12世紀前半に即位したスーリヤヴァルマン2世は、新たな王宮を建設すると同時に、国家鎮護のためのヒンドゥー教寺院を建立しました。これがアンコール・ワットで、従来のシヴァ派に代わり、ヴィシュヌ派の信仰を基盤とした寺院でした。

建設には30年以上を要し、一部は未完成のまま残りました。13世紀後半には改修が行われ、西からの参道が整備されました。1296〜1297年、元の周達観は「真臘風土記」にてアンコール・ワットを「魯般の墓」と記しています。


15〜18世紀:仏教寺院への転換

1431年、アンコールは放棄されましたが、16世紀半ばに再発見されます。アンチェン1世は1564年までに未完成部分の彫刻を整え、孫のソター王はヴィシュヌ神を仏像に置き換えて仏教寺院へ改修しました。

1586年、ポルトガル人アントニオ・ダ・マダレーナが西欧人として初めて参拝し、伽藍に賛辞を残しました。17世紀には日本人も参拝しており、1632年には森本右近太夫一房が壁面に墨書を残しています。また、この時期に日本人巡礼客によって『祇園精舎図』という実測図も作成され、水戸徳川家に所蔵されました。


19世紀:西欧への広まりとフランスによる保存活動

1850年、フランス人のシャルル・ブイユヴォー神父がアンコール・ワットを訪れましたが、1860年にはアンリ・ムーオが地元民の案内で訪れ、紀行文を発表したことで西欧世界に広く知られるようになりました。

1863年、カンボジアがフランスの保護国となると、フランス人学者による遺跡調査が本格化。ルイ・ドラポルトやルイ・ドラポルトらが修復活動を始め、1878年のパリ万博ではアンコール・ワット模型が展示されました。


20世紀以降:保存と修復、観光地としての発展

1907年、アンコール地域がフランス領となると、保存事務所が設置され、遺跡保存活動が本格化しました。初代保存官ジャン・コマイユは寺院内の整備や観光用道路の建設を行い、1913年には伊東忠太が『祇園精舎図』をもとにアンコール・ワットの実測図を確認しました。

第二次世界大戦下、1942〜43年に日本の美術調査隊が現地を訪れ、写真資料を残しています。1953年のカンボジア独立後は、アンコール・ワットはナショナリズムと結びつき、ベルナール・フィリップ・グロリエらによる修復が進められました。

アンコールワットで感じた歴史と時間の重み

朝の涼しい空気の中、アンコールワットの石段を登った瞬間、まずその巨大さと荘厳さに息をのんだ。正直、教科書や写真で見るのと、実際に目にするのとでは全く印象が違う。巨大な塔と広大な回廊、壁面に彫られた無数のレリーフ…まるで歴史そのものが空気に溶け込んでいるようだった。


初めて目にする壁面の彫刻

中央塔に向かう回廊を歩きながら、壁面の彫刻に自然と目が釘付けになる。ヴィシュヌ神やラーマの物語が細部まで精緻に描かれていて、まるで当時の人々の信仰と日常がそこに息づいているかのようだ。

私が特に印象に残ったのは「乳海攪拌」のシーン。神々と阿修羅が協力して不死の霊薬を得る場面は、単なる神話ではなく、王権と宗教、そして民衆文化の交わりを象徴しているのだと感じた。


回廊を歩きながら感じた時間の流れ

長い回廊を歩くと、時折日差しが石の隙間から差し込み、壁の彫刻を金色に照らす。歩きながら、私はつい何世紀も前にこの場所を行き交った人々を想像してしまった。

  • 東回廊には戦士や戦闘の場面が中心
  • 西回廊には祭事や平和的な儀式の場面が多く描かれている

こうして歩くと、単に歴史を「学ぶ」だけでなく、時間の流れと文明の息吹を肌で感じられる


宗教の変遷を体感する

12世紀のヒンドゥー教寺院としてのアンコールワットも、16世紀以降は仏教寺院へと変わった。歩きながら仏像や仏教関連のレリーフに気づくと、私は歴史の重層性に驚かされる。

  • ヴィシュヌ神像が仏像に置き換わった場所
  • 王権から民衆への信仰の移行

目で見て感じることができる、生きた歴史の証人のような体験だった。


細部に宿る文化と生活

壁の彫刻には踊り子や天女、農民、戦士の姿が描かれており、私はつい立ち止まって衣装や髪型、表情まで観察してしまった。これらの細かい描写から、当時の社会構造や文化、宮廷の雰囲気が伝わってくる。


日没のアンコールワット

そして夕方、西向きの回廊から見る夕日が寺院を黄金色に染める光景は圧巻だった。私はしばらくその場に立ち、時間と歴史が交差する瞬間を静かに味わった。

  • 光と影が作る幻想的な空間
  • 訪れる人々が共に歴史を感じるひととき

まとめ:旅の中で味わう歴史

アンコールワットは単なる観光地ではなく、歴史・文化・宗教・建築を全身で感じられる場所だった。歩きながら、彫刻を眺め、光の変化を楽しむ中で、私は時間の重みと文明の息吹を心から体感した。

旅日記として振り返ると、印象に残るのは「教科書で学んだこと」ではなく、その場に立った瞬間に感じた圧倒的な存在感と静かな感動だ。

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