近年、HIVをもつ女性が妊娠・出産をすることは、医学の進歩により安全性が高まっています。しかし、母体から赤ちゃんへHIVが感染する「垂直感染(母子感染)」のリスクは完全にはゼロではありません。今回ご紹介するのは、米・マサチューセッツ総合病院の研究グループによるシステマティックレビューとメタ解析です。Lancet誌に掲載されたこの研究では、「母体HIVウイルス量(mHVL)」と母子感染リスクの関連を徹底的に分析しています。
そもそも「母体HIVウイルス量(mHVL)」とは?
HIV感染者の血液中に存在するHIVウイルスの量のことを「ウイルス量」といいます。抗レトロウイルス療法(ART)を継続的に受けることで、このウイルス量は検出できないほどにまで抑えることが可能です。近年はこの状態を “U=U”(Undetectable = Untransmittable:検出不能=感染させない)と表現するキャンペーンが広まり、性行為による感染リスクがゼロになることが明らかにされています。
しかし、この「U=U」が母子感染にも当てはまるかについては、これまで十分なデータがありませんでした。
今回の研究の目的
今回の研究では、以下の2点を明らかにすることを目的としています。
- 母体のHIVウイルス量が周産期(出産時)の母子感染リスクにどのように影響するか?
 - 授乳期間中の感染リスクに対しても「U=U」は適用できるのか?
 
研究方法:30年以上にわたるデータを網羅
研究チームは、1989年から2024年に発表された関連研究を徹底的に検索し、合計147件(周産期に関する研究138件、授乳期に関する研究13件)を対象に解析を行いました。対象となった母子ペアは実に8万2,723組にのぼります。
データはウイルス量の水準ごとにグループ分けされ、各グループの母子感染率を統合的に評価。さらに、母体のART導入時期、出産方法(帝王切開 vs 経腟分娩)、研究地域(先進国か発展途上国か)などを調整因子として解析されました。
主な結果:ウイルス量が低いほど感染リスクは劇的に低下
ウイルス量と周産期感染リスクには明確な関連が認められました。
- mHVL < 50コピー/mL:感染リスク 0.2%(95%信頼区間:0.2~0.3)
 - 50~999コピー/mL:感染リスク 1.3%(1.0~1.7)
 - ≥1,000コピー/mL:感染リスク 5.1%(2.6~7.9)
 
さらに、「妊娠前からARTを開始し、出産直前にウイルス量が50未満だった女性」では、**周産期感染はゼロ(0%、95%CI:0.0~0.1)**でした。
授乳期のリスクは?
授乳中の感染リスクも調査され、以下の結果が得られました。
- mHVL < 50コピー/mL:月間感染リスク 0.1%(0.0~0.4)
 - mHVL ≥ 50コピー/mL:月間感染リスク 0.5%(0.1~1.8)
 
つまり、授乳中でも母体のウイルス量がしっかりと抑えられていれば、感染リスクは極めて低くなることがわかりました。ただし、性行為と違って「ゼロリスク」とまでは言えず、**「非常に低いがゼロではない」**という慎重な評価となっています。
U=Uは母子感染にも適用できる?
今回の研究は、「U=U(検出不能=感染しない)」という考え方が、妊娠・出産においてもある程度当てはまることを示しました。ただし、授乳に関しては明確に「U=U」と断言できるほどのデータはまだないため、今後のさらなる研究が求められます。
また、この研究の限界点として、以下が挙げられています:
- 授乳中のデータは少なく、症例数も限られていた
 - 研究の多くは頻回のウイルス量モニタリングや最新ARTレジメンを導入していない古いデータで構成されている
 
これらの点から、今後はより高精度なモニタリングと最新治療法に基づく研究が求められています。
まとめ:HIV感染と妊娠・出産の未来
この研究は、HIV陽性の女性にとって大きな希望を与える結果といえます。妊娠前からARTを開始し、ウイルス量を50コピー/mL未満に抑えることで、母子感染を限りなくゼロに近づけることができる。これまで妊娠・出産に不安を抱えていた方や、医療者側にとっても、科学的な根拠に基づいた判断がしやすくなることでしょう。
ただし、授乳期に関しては慎重な姿勢が必要であり、「感染の可能性がゼロでない」ことを理解した上で、母子にとって最適な選択を支援する「共同意思決定(shared decision-making)」が重要です。
HIV治療の進歩とともに、安心して子どもを持つ未来が現実のものになりつつあります。医療者・患者双方が、正しい情報を元に冷静な判断を下せるよう、今後も科学的な知見の蓄積が期待されます。
【原著論文】 Dugdale CM, et al. “Estimating the impact of maternal viral load on perinatal and postnatal HIV transmission: A systematic review and meta-analysis.” Lancet. 2025 Jul 10;406(10501):349–357. doi: 10.1016/S0140-6736(25)00765-2
  
  
  
  
コメント