はじめに
妊婦健診や分娩管理は、従来「医学的リスク」に焦点を当ててきました。妊娠高血圧症候群や前置胎盤、早産などの周産期合併症は、医師が日常的に注意を払う対象です。しかし、近年の周産期医療で新たに強調されているのが「社会的ハイリスク妊産婦」への対応です。
医療の力だけでは解決できない「社会的背景」が母子の健康に深く関与していることが明らかになり、産科医はもちろん、小児科医、助産師、保健師、ソーシャルワーカーなど多職種が関わる「チーム医療」が求められています。
この記事では、日本産科婦人科学会の「産婦人科診療ガイドライン産科編 CQ413 社会的ハイリスク妊産婦への対応」を基盤に、現場での対応をイメージしやすいよう症例を交えながら解説します。最後に確認問題も添えましたので、学習にも活用してください。
1.社会的ハイリスク妊産婦とは?
定義
「社会的ハイリスク妊産婦」とは、社会的要因によって妊娠・出産・育児に困難が生じると予測される妊産婦を指します。具体的には以下のようなケースが該当します。
- 経済的困難(生活保護、無収入、住居不安定)
- 若年妊娠(10代)
- 高齢妊娠で社会的孤立(支援者なし)
- DV(ドメスティックバイオレンス)被害
- 精神疾患(うつ病、統合失調症、依存症など)
- 望まない妊娠、未婚、パートナー不在
- 妊婦健診未受診、母子手帳未取得
- 虐待を受けて育った既往
つまり、医学的には健康でも「社会的背景が育児困難につながる」場合が含まれます。
頻度
厚生労働省や自治体の調査によれば:
- 母子手帳未取得妊婦:約0.25%
- 特定妊婦(児童福祉法で要支援とされる):2〜5%
- “気になる妊婦”を含めると、全妊婦の約5〜10%が社会的ハイリスクに該当すると考えられます。
これは決して稀な存在ではなく、臨床現場で必ず遭遇する割合です。
2.なぜ重要なのか?
母体への影響
社会的ハイリスク妊婦は医学的にも高リスクを伴います。
- 妊娠高血圧症候群
- 常位胎盤早期剥離(未受診妊婦では通常の約5倍)
- 子癇、HELLP症候群
- 薬物使用による早産・合併症
胎児・新生児への影響
- 早産、低出生体重児
- 胎児発育不全
- NICU入院率増加
- 新生児仮死、周産期死亡率上昇
虐待との関連
児童虐待事例を振り返ると、背景に妊婦健診未受診・母子手帳未取得・望まない妊娠などが頻出しています。つまり、妊娠期からのリスク把握が児童虐待予防につながるのです。
3.症例提示
症例1:未受診妊婦
20歳女性。妊娠32週頃、腹痛で救急外来を受診。妊婦健診歴なし、母子手帳未取得。経済的理由で受診できなかったという。胎児心拍確認は可能だが、週数の正確な把握は困難。
この症例では、感染症検査・超音波による週数推定を急ぎ、さらに行政につなぐ必要があります。
症例2:DV被害妊婦
28歳女性。妊娠24週で健診。腕や顔に打撲痕があり、夫の付き添いの前では発言が乏しい。問診でパートナーからの暴力を受けていることを訴える。
この場合、母体の安全確保が最優先。DV相談窓口や行政機関と連携し、母子の安全を守る必要があります。
症例3:精神疾患を持つ妊婦
35歳女性。統合失調症で服薬中。妊娠を契機に服薬中断していたが、妄想再燃。家族のサポートが乏しく、産後の育児継続が危ぶまれる。
精神科と周産期科の連携が不可欠。薬物療法の調整と産後ケア計画の策定が必要です。
4.具体的な対応
① 初診・未受診妊婦への対応
- 妊娠週数推定(最終月経・胎動・超音波)
- 感染症検査(梅毒、HBV、HIV、クラミジアなど)
- 母子手帳取得をサポート
② 支援者の確認
- キーパーソン(夫、両親、友人など)の有無
- 緊急時の連絡先確認
③ 行政・地域との連携
- 市町村保健センター
- 子育て世代包括支援センター
- 要保護児童対策地域協議会(要対協)
特定妊婦に該当する場合は情報共有が可能であり、守秘義務違反には当たりません。
5.スクリーニングと評価方法
SLIM尺度(Social Life Impact for Mother Scale)
妊娠期の社会的リスクを数値化するためのツール。以下を評価します。
- 年齢
- 妊娠の受容度(望まない妊娠か)
- 精神疾患の有無
- 対人関係
- 経済状況
- 住居の安定性
- 相談相手の有無
- パートナーとの関係
これにより支援が必要な妊婦を早期に発見できます。
6.利用できる社会支援制度
- 妊娠SOS相談窓口(自治体・民間)
- 助産制度(経済的困難時に分娩費用公費負担)
- 生活保護制度(妊娠出産費用も対象)
- 子育て世代包括支援センター(切れ目ない支援)
- 要保護児童対策地域協議会(要対協)(出生前から支援)
7.国際的な取り組みとの比較
- 米国:低所得妊婦はMedicaidで妊娠・出産費用をカバー。ハイリスク妊婦にはケースマネージャーがつく制度あり。
- 北欧(スウェーデン・ノルウェー):妊婦健診は無料で、若年妊婦やシングルマザーに対して強力な福祉制度。虐待予防プログラムも周産期から導入。
- 日本:母子保健制度は整っているが、未受診妊婦へのアクセスや支援の「つなぎ」が課題。
8.医師に求められる姿勢
- 「未受診=怠慢」と決めつけない
- 背景を理解し、責めるのではなく支援につなげる
- 医療だけで解決できない問題に対して、多職種連携を実践する姿勢
問題
25歳女性。妊娠32週、初診で来院。妊婦健診は一度も受けておらず、母子手帳も未取得。経済的困難とパートナーからの暴力を訴えている。この妊婦への対応として最も適切なのはどれか。
A.本人の自己責任であり特別な対応は不要
B.分娩予定日を推定し、必要な検査を速やかに行う
C.行政機関への連絡は守秘義務違反となるため行わない
D.出産後の支援が必要となれば児童相談所へ紹介する
E.自院のみで完結できるよう院内での支援にとどめる
正解
B.分娩予定日を推定し、必要な検査を速やかに行う
解説
社会的ハイリスク妊婦は医学的にも高リスク。初診時には妊娠週数推定と感染症検査が最優先。行政との情報共有は守秘義務違反にはならず、早期から連携することが望ましい。よってBが正答。
まとめ
- 社会的ハイリスク妊産婦は全妊婦の約5〜10%に存在し、決して稀ではない。
- 医学的リスクと社会的リスクは相互に影響し、母体・胎児の健康だけでなく、児童虐待や産後の育児困難につながる可能性が高い。
- 未受診妊婦・DV・精神疾患・経済的困難など背景は多様であるため、多職種連携(医師・助産師・保健師・ソーシャルワーカー・行政) が不可欠。
- 「妊娠期からの支援」こそが児童虐待予防の第一歩であり、医療者は支援の「入口」となる重要な役割を担う。
- 今後は国際的取り組み(米国のケースマネジメント、北欧の妊婦福祉)も参考にしながら、日本の妊産婦支援をより強固にしていくことが期待される。

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