40代が早朝ランニングで人生を変えた話|ハーフマラソン挑戦と継続の力

日々の日記 / Daily Journal

走り出したのは、40代を越えてからだった

気づけば、日々の仕事に追われ、座って過ごす時間が人生の大半を占めるようになっていた。
医師という仕事は、頭を使い、心を使い、体を酷使する。だが、意外なことに「自分の健康」には無頓着になっていく。

患者には「適度な運動を」「生活習慣の改善を」と言いながら、
自分の生活は不規則そのもの。夜遅くに食べ、翌朝はギリギリまで寝て、また職場へ向かう。

そんなある日、ふと鏡を見て思った。
「あれ、なんか老けたな」と。

運動不足で代謝が落ち、疲れが抜けにくく、体のキレがない。
このままではマズい。医者以前に、“人間としての健康”を取り戻さなければ。
そんな小さな焦りが、走り出すきっかけだった。


最初の2キロで息が上がった

走り始めた最初の1ヶ月は、とにかくつらかった。
たった2キロ走っただけで息が上がり、脚が重く、翌日は筋肉痛。

仕事終わりに家に帰っても、すぐには走れない。
子どもを含め家庭のことを済ませていると、自分の時間は限られる。
そこで私は、朝4時に起き出して走ることにした。
まだ家族が眠る静かな時間帯。暗闇の中、呼吸と足音だけを感じながら走る時間は、最初は過酷だったが、次第に“自分だけの時間”として貴重なものになった。

スニーカーで走っていたのも悪かったのだろう。足の裏が痛くなり、膝も悲鳴を上げた。
ランニングは健康のためのはずが、むしろ体を壊すんじゃないかとさえ思った。

そんな時、ランナーの先輩に相談したら、
「靴は“投資”だよ」と言われた。

なるほど。道具を軽視していた。
さっそく専門店に行って、初心者向けのランニングシューズを購入。
履いてみると、まるで世界が変わったように軽い。

「走る」って、こういう感覚だったのか。
それが、ランニングにハマる最初の瞬間だった。


装備を整える楽しみ ― ドラクエ方式

そこから私は、まるでRPGの装備を集めるように、少しずつ環境を整えていった。

スパッツを買い、ランニングウェアを揃え、
半年ほどで10キロを快適に走れるようになった頃には、
骨伝導イヤホンまで導入していた。

早朝ランニングを続けるうちに、体力だけでなく、心のリズムも整っていくのを感じた。
朝焼けの中、音楽やポッドキャストを聞きながら走る時間は、
一日の中で最も自分らしくいられる時間になっていた。

そして5ヶ月前、満を持してGARMINを購入。
型落ちモデルだったけれど、当時の私には十分すぎる機能だった。

思えば、まるでドラクエのように、少しずつゴールド(=お小遣い:我が家はお小遣い制)を貯めて、
一つずつ装備を整えていくプロセスそのものが楽しかったのかもしれない。


初めての「21キロ」という壁

装備が整ったら、次に目標を定めた。
どうせなら、ハーフマラソンに挑戦しよう。

そこからの4ヶ月は、まさに“準備の季節”だった。
10キロ走れるようになった自分が、21キロという未知の距離に挑む。

最初の頃は、15キロを越えたあたりで足が止まった。
「あと6キロ?そんなのムリだ」と思った。
でも、少しずつ距離を伸ばしていくうちに、
“走ること”そのものが、日常の一部になっていった。

走り終えた朝は、いつもより頭が冴えていた。
診療中も、以前より集中できるような気がした。
体を動かすことが、精神の安定にもつながっているのを実感した。


迎えたハーフマラソン当日 ― 雨の中のスタートライン

そして本番。
初のハーフマラソン当日は、あいにくの雨だった。

初参加ということで、最後尾ブロックからのスタート。
号砲が鳴っても、なかなか前に進めない。
「スタートまで、こんなに時間がかかるものなのか」と思った。

ようやく動き出しても、人が多くて思うように走れない。
前を避けようとするたびに、無駄な体力を消耗する。

「最初の5キロは我慢。広い道に出てから自分のペースで走れ。」
そう言っていた先輩の言葉を思い出した。
確かに、最初の5キロ(30分ほど)は体が重い。
いつもの通りだ。焦らず、焦らず。


沿道の声援 ― “人の力”を感じた瞬間

5キロを過ぎてようやく道が開けた。
そこからは、自然と自分のリズムを取り戻せた。

そして何よりも印象的だったのが、
雨の中でも沿道で応援してくれる人たちの存在だった。

子どもたちが「がんばれー!」と声を上げ、
傘を差したお年寄りが拍手を送ってくれる。

知らない誰かが、自分を応援してくれている。
その瞬間、人の温かさが心に染みた。


ラスト1キロ ― いつもの「自分との約束」

私の練習のルールは、「最後の1キロを全力で走る」こと。
それは本番でも変わらなかった。

残り1キロの表示が見えた瞬間、体が自然と反応した。
「ここからだ」と。

沿道で、すでに走り終えたランナーが声をかけてくれた。
「顔が下がってるよ! 前見て、前見て!」

思わず笑って、手を振って、スパートをかけた。
人をかき分けながら、最後の1キロを5分1秒ペースで走り抜けた。

結果は2時間14分30秒。
目標の2時間切りには届かなかった。
けれど、不思議と悔しさはなかった。


走ることが、人生を整えてくれた

レースが終わったあと、
心地よい疲労とともに、静かな充実感があった。

走ることを通して感じたのは、
「継続する力」が、どれほど自分を変えるかということだった。

仕事でも人生でも、努力がすぐ報われることは少ない。
けれど、走り続けていると、
確実に少しずつ前に進んでいる自分に気づく。

その感覚が、自信を与えてくれる。


40代を越えて思う ― “勝つ”より“続ける”が強い

若い頃は、「結果を出すこと」に価値を感じていた。
しかし40代を越えたいま、
結果よりも「継続」そのものが尊いと感じる。

毎朝走ること。食事を整えること。睡眠を見直すこと。
一見地味な行為の積み重ねが、
人生の質を決めるのだと実感した。


次の目標へ ― 春のレースに向けて

次の目標は、春に開催されるハーフマラソン。
今度こそ2時間を切りたい。

ただ、それ以上に、また同じように“走れる日々”を迎えられることが幸せだと思う。
走る理由は、もはや「記録」ではなく「自分らしさ」のため。

ランニングとは、身体のトレーニングであり、
同時に心のメンテナンスでもある。

そして、何よりも確かなのは──
走ることを通して、私は少しだけ「自分を好きになれた」ことだ。


おわりに ― “走る医師”として生きるということ

ハーフマラソンを完走して感じたのは、
医師としての私より、ひとりの人間としての私が確かに存在しているという感覚だった。

仕事に追われ、日々の中で失っていた「達成感」や「挑戦する喜び」を、
ランニングがもう一度思い出させてくれた。

たった2キロから始まった物語が、
21キロの景色を見せてくれた。

この小さな挑戦が、これからの人生を豊かにしてくれると信じている。

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